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マタイ18章(だれが一番偉いか、対人問題解決法)

「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」

「だれが一番偉いか」このことが弟子たちの思いにいつも引っ掛かっていた。それは彼らの生活した文化的背景によるものだ。彼らのことを笑ってなどいられない。どの文化も多かれ少なかれその意識に捉われている。日本の学歴偏重社会について考えればすぐわかることだ。それは望ましくないように言われるが、週刊紙、たとえば「サンデー毎日」「週刊朝日」などみると毎年受験シーズンになると東大・京大に、どこの高校が一番多く入学したと特集される。

この「誰がいちばん偉いか?」ということで、弟子たちは争い、イエスの死の間際まで争う。イエスはその点で弟子たちに悩まされつづける。しかしイエスは、機会あるごとに辛抱づよく諭しつづける。

この機会にイエスは次のように弟子たちに対応する。

すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、 18:3「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。 18:4この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。


結局イエスの答えは、一番謙遜になるものが一番偉いということになる。それが「天国」の価値基準である。神の立てる国:王国においては、自分を子どもように低くする者ほど偉い。と言うか、「心をいれかえて、自分を幼な子のように」しなければ、天国で1番も2番もなく「天国にはいること」すら「できない」とイエスは言っている。謙遜になれなければ、番外である。アウトである。

これは、フツウと逆である。聖書のいうところによれば、人間の社会、世の中の支配者は神ではなく悪魔サタンである。神はアダムとエバのエデンにおける反逆以降、彼らが自分たちだけで(神:創造者を抜きにして)うまく自治できるかどうかを今日まで試させてきた。その期間、この世の支配者は、悪魔サタンである。

サタンは、その名のとおり神の「反対者」である。だから、誇り高いサタンの支配する世界では、サタン同様に誇り高いものが多くの場合称賛される。ふんぞり返って何もしないでアゴで人を使う人がその指示のもとに追い回される人たちよりも偉いことになっている。

それとは逆に、神の国では、自分を低くして他の人びとに進んで奉仕する人が、尊ばれる。イエスはその点で、率先垂範、模範をしめした。立場としては(将来神の王国の)王となる地位にあったが、弟子たちに仕え、人々に仕え、最後には自分の命を人々の罪を帳消しにするための代価(犠牲)として差し出した。この世とはまったく逆である。

つづいて、

18:15もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って・・

という記述がつづく。

イエスは、弟子たちの間で生じるトラブルの解決法について教えている。イエスの弟子たちも「罪を犯す」人間である。だから、当然互いに「罪を犯す」。「罪を犯」さナイように注意していても人間の「罪」は発動する。「罪」は、心理学的にいえば、コンプレックスである。主体を脅かすものである。そうはすまいと思っていても、そうしてしまうことがあり、そのような自分になさけない思いをすることがある。そのような思いをさせるモノが「罪」だ。

コンプレックスの影響は、ユングの発案した「言語連想検査」からわかる。ちょっとした言いマチガイなどを分析していくと、各個人の主体を脅かす存在が何に起因するか推し量ることができる。興味のある方は河合隼雄著「コンプレックス」が参考になる。

「あなたの兄弟が罪を犯す」場合、その解決法の基本は「ゆるす」ことである。それも以下のように際限なくゆるすことである。これは、自分がどれほど罪の影響下にあるかを強く自覚する人ほど、イエスの有名なことば、またそれに続くたとえの意味も実感として分かると思う。

そして、ゆるさない者は自分も神からゆるされることはない。

18:21そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。 18:22イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。

口語訳聖書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/matthew.html

新世界訳聖書
https://wol.jw.org/ja/wol/b/r7/lp-j/nwtsty/40/18#study=discover


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