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マタイ19章(イエスは質問に答える / 永遠の命)

19:3さてパリサイ人たちが近づいてきて、イエスを試みようとして言った、「何かの理由で、夫がその妻を出すのは、さしつかえないでしょうか」。

要するに、パリサイ人らは離婚の根拠について尋ねている。イエスの答えは次のようなものだ。

19:4イエスは答えて言われた、「あなたがたはまだ読んだことがないのか。『創造者は初めから人を男と女とに造られ、 19:5そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』。 19:6彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。

創世記にある記述から引用して答えている。「まだ読んだことがないのか」という一言は興味深い。知っていて当然のはずだが・・という思いが込められているにちがいない。イエスはそのようにして、結婚の創始者である神ご自身のそもそものお考えに注意をひいている。そして、この後の部分で、離婚の唯一の根拠となるのは配偶者が性的な不道徳を犯した場合のみであることを示している。


もうひとつのやりとりが記されている。次のようなものだ。

19:16すると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて言った、「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」

それに対する答えは

イエスは言われた、「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。 19:19父と母とを敬え』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」。

これも最初のやりとりと同じく神の言葉:聖書に基づくものである。しかも「十戒」から引用している。これは神の民であれば誰でも知っていて当然の言葉であった。先のパリサイ人とのやりとりと同じく、「えっ、そんなことも知らないの、知っていて当然のはずだけどなあ」との思いがイエスにはあったのではないだろうか。そのように当方には思われる。

以上の二つの例をみると、マタイ4章で悪魔サタンの誘惑を受けたときと同じく、イエスは神の言葉を権威として引用し、それによって答えている様子が分かる。

イエスは「神の子」にふさわしく、いつも父である方(神:創造者)を重んじ、その言葉に従って教えまた語っていたことがわかる。イエスの弟子と称する者にとっての模範である。


そして「永遠の命」についてであるが、それを得るための答えは以下のものである。イエスは言う。

19:29おおよそ、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受けつぐであろう。

「捨て(る)」とあるのを読むと、なにか極端なことが語られているように思う方も、中にはいるかもしれない。しかし実際のところ、イエス「に従って」その生き方に倣いしっかり生きようとするとこれが現実になる。「家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨て」るとあるが、実際には「捨てる」というより、クリスチャンとして真摯に生きようとすると、肉親の方で離れていくのである。そして、家や畑を後にせざるをえなくなるのである。聖書の(つまり神の高い道徳基準など)価値観を共有できるような肉親であれば、その方も(いずれ)クリスチャンになるだろうが、多くの場合そうはならない。そうなって欲しいが、残念なことにそうはならない。それはキリスト教にかぎらないと思う。個としてある宗教的価値観にそって生きようとすると、その個人は孤独を味わうことになる。キリスト教的価値観に従う場合も同じである。そして結果としては文字通りの身内・家族を失う(「捨てる」)ことになるが、その代わりに信仰に基づく仲間・家族を得るものとなる。疑似的な家族である。男どうしであれば「義兄弟」、女どうしであれば(そのような言葉はないが)義姉妹ということになろう。そして、文字通りの家族よりも、疑似的な家族の方がある意味において重要になる。また、数においてはるかに多い。それゆえに結果として「捨てた」(失った)ものの、その「幾倍もを受け」ることになる。さらに将来においては、約束された「永遠の命」を受けることになる。

口語訳聖書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/matthew.html

新世界訳聖書
https://wol.jw.org/ja/wol/b/r7/lp-j/nwtsty/40/19#study=discover






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