聖書「中毒」?
聖書通読の記録とするつもりだが、ただ「通読」と書くのではなく「中毒」とした。それくらいに読んでみたいという気持ちの表明である。イエスは貧しい人は幸いと述べたが、そこには貪欲さが関係している。真に貧しい人間がもつ貪欲さである。飢えてきゅうきゅうしている人間のひもじさからくるものである。聖書、つまり「神の言葉」に対して、いつも貪欲であることは、聖書中で肯定されている。それは神との関係を強めるものとなるからである。「人はパンだけで生きるのではなく、神の言葉によって生きる」ものであるという言葉もある。三度三度の食事より、精神的なものを大切に思いたいということでもある。
2023-02-20 07:58