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マルコによる福音書 7章(汚すものは内側から / 外国人) [マルコ]

人をほんとうに汚すものは何かという話である。

宗教指導者たちは身体を清い状態にしておくことの大切さを承知していた。そして、それはイスラエル人に与えられた律法にも規定されていた。だが、モーセに与えられた律法はのちに変質してしまう。律法そのものが変わったわけではなく、その解釈が変わってしまう。時間が経つにしたがっていわゆる伝言ゲームのようになってしまう。人為的に解釈が変えられもする。面白おかしくなるのならいいが、人をがんじがらめにする。自由を奪う。生活から喜びを失わせるものとなる。それは本来神様の意図したことではない。それを自分に当てはめるだけならまだしも、宗教指導者たちは、それを適用するよう一般の人々に要求する。そういう宗教指導者らの偽善をイエスは暴く。そして本当に人を汚すものは、外側からというより人間の内側から出てくるものであることを述べる。

7:20さらに(イエスは)言われた、「人から出て来るもの、それが人をけがすのである。 7:21すなわち内部から、人の心の中から、悪い思いが出て来る。不品行、盗み、殺人、 7:22姦淫、貪欲、邪悪、欺き、好色、妬み、誹り、高慢、愚痴。 7:23これらの悪はすべて内部から出てきて、人をけがすのである」。

そのような精神態度、感情、動機を培うことのないよう、注意深くあるようイエスの弟子たちは促されたにちがいない。身体的に清くあることは大切だが、それよりもさらに思いと心を清めるよう動かされたはずである。


このあとの記述で「汚れた霊(悪くなった天使)」に憑かれた子供をもつ女性が登場する。しかも外国人(ギリシャ人)である。

当時モーセの律法下のイスラエル人は、外国人と交渉をもたなかった。そのような規定があった。外国人とは原則として婚姻関係をもたないし、同盟もしない。神の民として特別に取り分けられ、いわば「聖別」されていた。(そういうことを書くと「選民思想」であると怒る方もいる。が、そうするだけの意図、目的が当時あったのである。ここでは詳述しない)。

ところがギリシャ人の女性がイエスに近づいてくる。そもそもイエスが(天の神の領域から)地上に遣わされた最大の目的は、全人類のために「贖い」を備えることだった。次いで「神の国」による支配とその祝福について宣教:伝道することだった。しかし、この宣教に関しては専らユダヤ人に対するもので外国人に対するものではなかった。外国人への宣教は、イエスの死と復活の後に、イエスの弟子たちによって活動がなされていく。(実のところ神の目的の進展にはタイムテーブルがあって、聖書を調べるとその時間表のとおりに今日まで物事が展開してきたことを知ることができる)。外国人に神の目的が伝えられるようになった顛末は『使徒行伝:イエスの弟子たちの活動の様子について記された聖書文書』を読むと知ることができる。いま考慮している「マルコによる福音書」の次が「ルカによる福音書」、その次が「ヨハネによる福音書」、その後が『使徒行伝』である。

前置きが長くなってしまったが、そのような外国人との関係性の中で、イエスの外国人女性に示した思いやりを知っていただければ嬉しい。

7:24さて、イエスは、そこを立ち去って、ツロの地方に行かれた。そして、だれにも知れないように、家の中にはいられたが、隠れていることができなかった。 7:25そして、けがれた霊につかれた幼い娘をもつ女が、イエスのことをすぐ聞きつけてきて、その足もとにひれ伏した。 7:26この女はギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生れであった。そして、娘から悪霊を追い出してくださいとお願いした。 7:27イエスは女に言われた、「まず子供たちに十分食べさすべきである。子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。 7:28すると、女は答えて言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」。 7:29そこでイエスは言われた、「その言葉で、じゅうぶんである。お帰りなさい。悪霊は娘から出てしまった」。 7:30そこで、女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。

口語訳聖書 マルコによる福音書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/mark.html

新世界訳聖書 マルコによる福音書 6章
https://wol.jw.org/ja/wol/b/r7/lp-j/nwtsty/41/6#study=discover




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