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マルコによる福音書 1章 [マルコ]

聖書を読み始めたころ、当方が一番くり返し読んだのは「マルコによる福音書」である。第一に全体で16章までしかない。そしてテンポがいい。奇跡をおこないながらどんどん進んでいくイエスを思いみることができる。なによりも読みやすかったのが、その理由だ。

マルコは4人いる福音書筆者中、自分が直接に見聞きしたことではなく伝聞にもとづいて書いたといわれている。マルコはマタイと異なり、その福音書をイエスの家系やイエスの誕生から説き起こさない。ベツレヘムで馬小屋で生まれたことなどは全部すっ飛ばす。そして、キリストとしての誕生から始める。

人間イエスの誕生とキリスト・イエスの誕生とどちらが重要かといったなら、(人間としてマリアから生まれなければキリストとしての誕生もないのは事実だが、神の目的と人間の救いからいくと)キリストとしての誕生の方である。であるから、省略しても問題ナイと当方は思う。

そのようにマルコが考えたかどうか知らないが(きっと読者として想定されていた人たちが異なることも関係していただろう。ユダヤ人が読者として想定されていれば、キリストとしてのイエスの正統性を示すために家系も記す必要があっただろうが、そうしていないところをみると読者として想定されていたのはユダヤ人ではなかったということになるのだろう・・)バプテストのヨハネから水のバプテスマを受けてイエスがキリストとして活動を始めるところからマルコは書き始める。「マタイによる福音書」であればバプテストのヨハネは3章に登場し、悪魔からの誘惑は4章で記述される。それだけでも3、4倍のスピードである。

この章を読むたび当方は思うことがある。それはイエスはやはり普通ではナイということである。「神の子」であるのだからフツウでないのは当然なのだが、たとえば次のような記述がある。

1:35朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。 1:36すると、シモンとその仲間とが、あとを追ってきた。 1:37そしてイエスを見つけて、「みんなが、あなたを捜しています」と言った。 1:38イエスは彼らに言われた、「ほかの、附近の町々にみんなで行って、そこでも教を宣べ伝えよう。わたしはこのために出てきたのだから」。 1:39そして、ガリラヤ全地を巡りあるいて、諸会堂で教を宣べ伝え、また悪霊を追い出された。

シモンとは12使徒のひとりペテロのことだが、「みんなが、あなたを捜しています」と言われたなら、フツウどう答えるだろうか。たぶん「そうでしたか、探していましたか、ご心配かけました・・」がすぐに出てくる答えになるだろう。

ところが、イエスは

「ほかの、附近の町々にみんなで行って、そこでも教を宣べ伝えよう。わたしはこのために出てきたのだから」

と、答えている。

祈りで神に近づき神のみ前で自分のキリストとしての役割を深く黙想していたところに、突然弟子たちが現れたのでこのような答えになったのだろう。

この言葉からイエスの役割、キリストとしての重要な仕事が何かを理解できる。

それは「宣教」である。イエスは、その仕事に熱心に取り組み、果たした。

イエスは、キリストとしてのこれからの3年半を宣教者として駆け抜ける。

口語訳聖書 マルコによる福音書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/mark.html

新世界訳聖書 マルコによる福音書 1章
https://wol.jw.org/ja/wol/b/r7/lp-j/nwtsty/41/1#study=discover








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