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マルコ12章(貧しいやもめの寄付) [マルコ]

12:41イエスは、さいせん箱にむかってすわり、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。 12:42ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは一コドラントに当る。 12:43そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。 12:44みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」。

世界一有名な名もないやもめのことが出ている。

聖書に自分のことが記されていると知ったなら、そして、世界中で読まれて有名になっていると知ったなら復活してきてさぞ驚くことだろう。

イエスの目の付けどころはフツウとは異なることを知ることのできる聖句だ。多くの人は注目されたくて、多くのお金を賽銭箱に入れていたが、イエスの注目するところとなったのはわずかな硬貨を入れたやもめだった。

イエスと同様、神様の目のつけどころも、金額の多寡にない。多い少ないではない。

昨日、ダビデが油注がれて王として任命されたことについて記したが、その記述がでているサムエル記第一の書には、神様の注目するものが何か示されている。

王として任命する人物に油を注ぐように神様は、預言者サムエルをエッサイという人物の家に遣わす。その息子たちがサムエルの前に引き出される。神様から油を注ぐようにサムエルが命じられたのは結局、末息子のダビデであったのだが、その人選の理由が記されている。すこし長いが引用する。

16:6彼らがきた時、サムエルはエリアブを見て、「自分の前にいるこの人こそ、主が油をそそがれる人だ」と思った。 16:7しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。 16:8そこでエッサイはアビナダブを呼んでサムエルの前を通らせた。サムエルは言った、「主が選ばれたのはこの人でもない」。 16:9エッサイはシャンマを通らせたが、サムエルは言った、「主が選ばれたのはこの人でもない」。 16:10エッサイは七人の子にサムエルの前を通らせたが、サムエルはエッサイに言った、「主が選ばれたのはこの人たちではない」。 16:11サムエルはエッサイに言った、「あなたのむすこたちは皆ここにいますか」。彼は言った、「まだ末の子が残っていますが羊を飼っています」。サムエルはエッサイに言った、「人をやって彼を連れてきなさい。彼がここに来るまで、われわれは食卓につきません」。 16:12そこで人をやって彼をつれてきた。彼は血色のよい、目のきれいな、姿の美しい人であった。主は言われた、「立ってこれに油をそそげ。これがその人である」。 16:13サムエルは油の角をとって、その兄弟たちの中で、彼に油をそそいだ。この日からのち、主の霊は、はげしくダビデの上に臨んだ。そしてサムエルは立ってラマへ行った。

口語訳聖書 マルコによる福音書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/mark.html

新世界訳聖書 マルコによる福音書 12章
https://wol.jw.org/ja/wol/b/r7/lp-j/nwtsty/41/12#study=discover



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