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マタイ16章(キリストは認めるが、分かってないペテロ)

パリサイ人とサドカイ人(宗教指導者たち)がやって来てイエスがキリストであることを証拠づけるものとなる「天からのしるし」を求める。しかしイエスは、先の機会(マタイ12章参照)と同じく「ヨナのしるし」しか与えられないことを述べる。

イエスは弟子たちに自分が何者であるかを尋ねる。はっきりとペテロは、イエスがキリストであると述べる。弟子たちにとってイエスがキリストであることを認めるために「天からのしるし」は必要なかった。

その後、イエスは自分の身にこれから生じることを弟子たちに語る。まさにそれこそ(繰り返しイエスが話してきた)「ヨナのしるし」がいったい何であるか、そのしるしの中身を示すものだった。ところが、イエスの身にそのようなことは「起こるハズがない」とまでペテロは言う。イエスをキリストであるとはっきり認めたはずのペテロが、である。要するに、聖書予言に記されているキリストの役割・使命について、ペテロはまったく理解していなかったということになる。(そのことは以下のように記されている)。

16:21この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。 16:22すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言った。

ペテロは「そんなこと」と述べているが、聖書中に予告されていることである。それを真っ向から否定、反対したことになる。そのことでペテロはイエスから「サタン」と言われてしまう。文字通りにペテロが悪魔サタンであったわけではなく、そのような態度を示したということである。サタンには「反抗者、反対者」の意味がある。

16:23イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。

イエスの思いにいつもあったのは「神のこと」である。父である神(創造者)の目的・意向を自分自身よりも重視した。そのために命を犠牲にすることをいとわなかった。

そのことで、イエスから叱責されたペテロだが、その後もずっとイエスと歩みを共にする。そのことからペテロが謙遜な人物であったことが分かる。誇り高い人はプライドを傷つけられるとそのようにはできない。ちなみに、聖書には悪魔サタンの起源について記されている。そこには誇りが関係している。元は良い天使であったが、神(創造者)ではなく自分が崇拝されたいと願って、自らを神に反抗・対抗する者としてサタンとなったことが記されている。

いろいろと欠点も多いペテロだが、イエスから信頼された。実に愛すべき人物である。

口語訳聖書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/matthew.html

新世界訳聖書
https://wol.jw.org/ja/wol/b/r7/lp-j/nwtsty/40/16#study=discover






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