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マタイ21章(イエス、エルサレムに入る / イエスの権威はどこから)

エルサレムはイスラエルの王都である。そこでイエスの祖先ダビデが王位についた。その子ソロモンもである。ところが後に、バビロンの王ネブカドネザルによって滅ぼされて、その王位が途絶える。いわゆる「バビロン捕囚」である。ユダヤ人はバビロンに連れていかれる。その捕囚期間70年の後、ペルシャの王キュロスによって解放される。西暦前6世紀の話しである。

自由になったユダヤ人の一部は故国に戻ってエルサレム(の神殿)を再建する。しかし、ダビデの王位を受け継ぐ人物がいないまま時が経過する。ダビデの王統の空位期間がずっと続いていた。

しかし、いまその王統を受け継ぐ人物がエルサレムに向かう。予告されていたとおり、ロバに乗って・・

福音書筆者マタイは次のように記す。

21:4こうしたのは、預言者によって言われたことが、成就するためである。 21:5すなわち、 「シオンの娘に告げよ、 見よ、あなたの王がおいでになる、 柔和なおかたで、ろばに乗って、 くびきを負うろばの子に乗って」。

マタイは、西暦前6世紀に記されたゼカリヤ書9章9節を引用して、その予言がイエスに成就したこと、イエスの行動が前もって予告されていたことを示している。注意深くマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書をみていくと、このような記述が数多くでてくるのに気づく。ゼカリヤのように神の霊感を受け、インスパイアされた預言者たちが(幾世紀も前に)記したことが、たしかにイエスと呼ばれる人物に成就したことを示そうとしている。その目的は、イエスがたしかにキリスト、メシアであることを証明するためである。

そして、群衆は

「ダビデの子に、ホサナ。 主の御名によってきたる者に、祝福あれ。 いと高き所に、ホサナ」。

と、イエスを「ダビデの子」王統を受けつぐにふさわしい人物、キリストとして受け入れる。

ところが、宗教指導者たちはイエスをキリストと認めない。今日のユダヤ教を奉じる人たちと同じである。彼らは、いまだにイエスではなく別の人物がキリストとして現れるのを待っているのだという。

この後、エルサレムの神殿(口語訳では「宮」と訳出されている)で、次のようにイエスは行動する。

宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、また両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえされた。

人びとは神殿にやってきて動物の犠牲をささげる必要があった。その動物を現地調達できるように神殿で商売をする者たちがいた。たいへんな暴利をむさぼっていたという。そもそも神殿域は商売をする場所ではない。真の崇拝への熱心さからイエスは行動する。当方ははじめて読んだ時、過激だなあと思った。が、自分にとってほんとうに大切な場所が無惨な状態にされているのを知ったなら、イエスのような行動をとることになるだろう。それが自分の所有権のもとにあればなおさらである。実際のところ、イエスにとって神殿は大切な父である神の家であった。イエスの気持ちを斟酌しなければならない。

このあと、イエスの権威がどこからきているかについてのやりとりが宗教指導者たちとの間でなされる。

21:23イエスが宮にはいられたとき、祭司長たちや民の長老たちが、その教えておられる所にきて言った、「何の権威によって、これらの事をするのですか。だれが、そうする権威を授けたのですか」。

イエスは自分の先駆者であるバプテストのヨハネの権威がどこからきていると思うか彼らに尋ねる。彼らは、その権威が神から来ていることを認めようとしない。どれほど立派な教えを説き、奇蹟をおこなおうが、彼らはバプテストのヨハネ同様、イエスの権威が神からきていることを認めたくない。

そうした彼らにイエスはたとえを用い、神の正統な相続人と知りながら殺す者たちに宗教指導者らをたとえて言う。

21:43それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。

イスラエルは神に献身した民である。神との特別な契約に入り、神の特別な保護の下にある国民であった。しかし、神の子であり、ダビデの家系で王となる人物を彼らは退け、そして殺す。彼ら殺す者たちから、神の特別な民としての特権が奪い去られることが、ここで示されている。

実際、そのとおり、神の民であると自称してきた者たちに大きな変化が後に生じることになる。

口語訳聖書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/matthew.html

新世界訳聖書
https://wol.jw.org/ja/wol/b/r7/lp-j/nwtsty/40/21#study=discover

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