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マタイ10章(宣教への指示・迫害への覚悟)

イエスは12人の弟子たちを宣教活動に遣わす。弟子たちは「ただで受けたのだから、ただで与える」ように言われる。

10:5イエスはこの十二人をつかわすに当り、彼らに命じて言われた 10:7行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。 ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。

当方は、宗教は良いものであっても、教団として組織化されるとロクなモノでないと思ってきた。宗教の歴史をみれば、それは明らかである。たいてい集金集団になる。その弊害はいまもニュースで取沙汰される。キリスト教も多くの場合、例外ではない。

イエスは「ただで・・与える」ようはっきりと命じている。これに続く部分に記されているが、当時弟子たちが活動した地域は訪問者をもてなす伝統文化があった。それで弟子たちは、感謝や好意からでるもてなしを得ながら活動を続けることができた。つまり経済的には、そうした善意の人々の、いわば「自発的な寄付」に依存していたということができる。それはあくまでも自発的なものであって、強要されたものではない。


イエスが弟子たちに言い聞かせたことに、迫害がある。迫害を覚悟するように言われている。師である自分が迫害される以上、その弟子も例外ではないと教える。

10:24弟子はその師以上のものではなく、僕はその主人以上の者ではない。 10:25弟子がその師のようであり、僕がその主人のようであれば、それで十分である。もし家の主人がベルゼブルと(悪く)言われるならば、その家の者どもはなおさら、どんなにか悪く言われることであろう。 10:26だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。 10:27わたしが暗やみであなたがたに話すことを、明るみで言え。耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ。

イエスの教え・生き方は高潔である。神の教えに基づくもので、この世の多くの人の生き方と異なる。高い道徳基準に従う。イエスの教えを聞く時に、それを好意をもって受け入れ自分もそのようにしようと思う人もいれば、そうでない人もいる。そうでない人のなかには、自分と異なるというだけの理由で敵意を示す人もでてくる。

そもそも、エデンの園でアダムとエバのとった行動(善悪の知識の実を食べたこと)は、神の善悪の基準に従うよりも、自分たち独自の善悪の基準をつくりソレに従って生きた方が幸せになれるという考えに基づいていた。そのような考えをアダムとエバに植え付けたのは「ヘビ」である。ヘビの正体については聖書66巻の66番目の書物である(使徒ヨハネの)『黙示録』あるいは『啓示』と呼ばれるところで、それは悪魔サタンであると明らかにされている。

悪魔サタンとアダムとエバのとった行動は、ひとことで言えば「自分たちに神様なんか要らない!」という主張に等しい。それに対して神(創造者)の取った判断は「それなら自分たちで好きなようにやってみなさい」というものだ。「どうぞ自分たちで物事を首尾よく治められるものかどうか時間をあげるから、試して御覧なさい」というものである。そういう経緯で、その後の人類の歴史は続いてきた。その結果が、現在のぶざまで無惨なありさまである。

人類はさまざまな統治形態を試してきた。君主制、共和制、民主制などなどである。その間、神(創造者)はご自分の支配を進んで受け入れようとする者たちのために着々と物事を進めてこられた。それはある人物の家系から救世主(キリスト)を登場させ、その者によって悪魔サタンによって台無しにされた人類と地球を、当初神の意図された楽園へと回復させるというものだ。その家系として選ばれたのがアブラハムでありダビデといった人々である。(その家系に確かにイエスが連なること、イエスが事前に登場すると予告されていたキリストであることが、マタイ1章冒頭に列挙される名前で証拠づけられている)。

その間ずっと今日に至るまで、悪魔サタンは神の目的に反対する行動をとってきた。イエスの活動していた時期も同様である。イエスを誘惑した悪魔サタンはその弟子たちも誘惑して当然である。イエスを迫害したなら、その弟子たちも迫害して当然である。悪魔サタンのそのような働きかけがある以上、イエスの弟子たちは神に従うか悪魔サタンに従うかという選択をいつも迫られる状況にあった。そして、その試練が迫害というカタチを取ることがありえる以上、イエスは弟子たち(クリスチャン)に、決然と迫害に立ち向かう覚悟をさせる必要があった。

悪魔サタンなどと聞くと、バカバカしいと思われるだろうか?

聖書中には、以下のような言葉もある。そして、実際にそのようにすると、必ずそのようになる。


(口語訳)キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。 テモテ第二3:12

(新世界訳)過ぎ去った時の間+,あなた方は,みだらな行ない*+,欲情,過度の飲酒+,浮かれ騒ぎ,飲みくらべ,無法な偶像礼拝に傾いていましたが+,諸国民の欲するところを行なうのは[それで]十分だからです+。4 彼らは,あなた方がこうした道を自分たちと共に放とうの同じ下劣なよどみ+にまで走り続けないので,当惑してあなた方のことをいよいよあしざまに言います+。ペテロ第一4:3,4

口語訳聖書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/matthew.html

新世界訳聖書
https://wol.jw.org/ja/wol/b/r7/lp-j/nwtsty/40/10#study=discover


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  • 作者: 日本聖書協会
  • 出版社/メーカー: 日本聖書協会
  • 発売日: 1993/11/01
  • メディア: 大型本




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